一所懸命で見える世界。

どっと流れていく毎日をとりあえずメモ

何でも「そうあって当たり前」と思うと気にとめることなく通り過ぎていく

けれど、ひとつひとつに好奇心をもって知ろうとすると

いろいろなことが見えてくる、目の前のものが違う情報として見えるようになる。

 

例えば

「母の日」とは

・母に感謝する日

・イアーネーションがシンボルの花

 

これが私の今までの母の日に関する認識

 

でもちょっと立ち止まって考えてみる

・いつできたのだろうか?

・何故花を贈るのか?

そもそも何なのか?

・誰が作ったのか?

 

当たり前だけれど、物事には必ず初まりがある。

つまり、初めて行った人がいるということ。

 

そう思うと当たり前が当たり前ではなくなる気がしてくる。

 

カーネーションじゃなくてもいいんじゃないか?

1日じゃなくてもいいんじゃないか?

 

でも、母の日は1日で今シンボルとなっているのはカーネーション

 

考えた人はどんな想いでつくったのだろう?

どんな過程があったのだろう?

 

自分が母の日を作るとしたら、そこにどのような想いを込めて

どのような日として設定するのだろうか?

そんなことを思う。

 

歴史は何事も誰かが始めたことでできている

今生きている人がしていることが未来の普通の初まりかもしれない。

誰でもがその初まりをつくる可能性がある。

 

これは普通じゃないとか、こうして当たり前なんて考えをとっぱらって

どうしてそれはそうあって、もし自分が考えるならどんな風にするか

全てを自分ごとに近づけて考えてみる

 

そうすると世の中を見るのがワクワクしてくる

自分もその作り手の一人だと思うとワクワクする

世の中のすべてのことが誰かが作ったものでできている

(自然物を除いて)